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Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼諸悪の根源


予防医学の カイロプラクティック

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RMIT大学のサイトは この字をクリックして下さい。

「 悪 」 には 根源というものがあるのでしょうか?

諸悪の 根 源

「 悪 」 というイメージが、 私達に与える影響は、 どの様なものでしょうか ?
悪いこと、 として理解し始めて来たのは、 何時からなのでしょうか ?

生まれる前から、「 悪 」 のイメージは有ったのでしょうか ?
それとも、生まれる前から「 悪 」 のイメージを持ち続けているのでしょうか ?


「 悪 」 に対抗するのは「 善 」 です。
この二つは、「 両極端 」 の存在ですが、 しかしこれらは 物ではありませんね。
あくまで、 イメージであるモノです。

でも 子供の時から常に言われるのは、「 そんな事すれば 罰が当たるよ 」「 地獄に 行くよ 」「 悪魔に 取り憑かれてしまうよ 」 と、 常に「 いけない事 」 をさせない為に、 行動や考えを 規制させる抑止力として、 これらの言葉を使って来ていると思います。

子供の時には、 理解力が乏しくて、「 悪いことや地獄 」 というイメージが なかなか理解しにくいものでした。
やはり、 物心が付き始めて、 この言葉を聴くと やっちゃいけない事なんだと、 判断でき始めます。

「 でも、なぜ ? 」 という疑問が涌いて来るのは、 それ以降の時代からでしょう。
漫画を見たり 小説を読んだりして、 「 地獄の存在 」 を少しずつ 理解し始めてきたのではないでしょうか ?
当然やはり「 地獄 」 というものは、「 存在するしないに関わらず 」 恐ろしい場所であると 決め付け始めるのではないでしょうか ?

しかし現実に、 誰彼もが「 地獄 」 を生身で見ている人は 少ないと思います。
でも 戦場にいかれた報道マンは、 さながら「 地獄のような有様です 」 と、 報道しているのを 聞くことが出来ます。
しかし その彼が実際に、 あの世に行って、 そのあの世の地獄を 見ている訳でもありません。
ただ 反復するように、 その悲惨な有様を、「 地獄 」 だと決め付けているわけです。

昔から、 世界中で、 地獄という実体を表そうと、 絵画にしても 話にしても、 少しずつ その表現は各国で違いますが、「 恐怖に満ち満ちている 世界 」 という範疇で 表現されているのではないでしょうか ?
そして その表現される世界は、 あの世だけに 存在しているモノでしょうか ?

この話には、「 地獄 」 が存在していると、 前提条件で話を進めます。
そうでなければ、 矛盾が生じてしまって、 結論は見出せないからです。


ところで なぜ ある人にとって「 地獄 」 を魅力的に感じる人々が 居るのでしょうか ?
あの暗闇の中で 這いずり回っている獣に変化した 人間の心が住む「 地獄 」 を、 どうして 魅力的な場所として理解し、 また惹かれたりしているのでしょうか ?

この現在の社会の中で、 その様な地獄社会を 本当に創りたいと願っているのでしょうか ?
現実に その悲惨な地獄を、 互いに互いを苦しめあう地獄の社会を 創造したいのでしょうか ?

よくテレビなんかに 表現されている地獄の存在は、 まだまだ軽いモノだと聞いています。
全く何の光もない「 無間地獄 」 、自分が何処にいるのかさっぱり判らない霧の中に漂っている地獄、 誰も側にいない 全く一人ぼっちの地獄、 喧騒喧嘩だけの地獄、 いつも自殺を繰り返す地獄、 人を刺して鉄砲で撃ちまくり、 そして自分も打たれ死に また生き返る地獄。
それは言い出したら数え切れないくらいに その世界が存在していると聞いています。

当然そうなるのは、 人一人が思う 心の世界が多様であるから、 その心の数だけ 天国も地獄 もあるということに他なりません。


地獄も天国も、 心の世界だ ということが理解できるのなら、 その根源は 一体何処にあると思われるでしょう ?

私は高橋信次氏に、「 あの世とこの世は、 「 あ 」と「 こ 」 の違いだよ 」 と言われたのを 思い出します。
最初は いったい何を言っているのか、 さっぱり 理解することが出来ませんでした。
しかし 長年追求していく中で 理解できたことは、 あの世もこの世も 変わりはないのですよ、 ということなんです。
ただ、 この世に今生存している私達には「 肉体 」 が有って、「 あの世 」 の人達には「 肉体が無い」 という事だけなんです

この意味は とても重要な所です。
なぜなら、 人もすべての生命は「 魂 」 そのものだと 言われているからです。
そして魂は「 光子体 」 という エネルギーの中にあると 言われているからです。
すなわち「 光 」 そのものの中に、 また光そのものが その実体だと 言われているからです。

こうなると 訳がわからなくなってしまうと思いますが、 しかしながら 実際にそうなっているということであれば、 それを理解するしか 道がないのも仕方がないことかも知れません。

だけど無闇に信じることは 盲信に繋がりかねませんから、 そこまで理解し 信じるかは その人の心に任せるしか道はありません。


じゃあなぜ「 地獄 」 は存在すると 言われるんでしょうか ?
その根拠は 一体何処にあるのでしょうか ?

実はそこにポイントがあって、 先ほど言いました 光子体 の問題が生じてくるようです。
人の魂が 如何に心清きものであるかどうか ? という点で、 論議を呼ぶものと思います。

もともと人の心は 何一つ曇りのない、 一点も曇りのない 清らかな光そのもの の心だったとするならば、 この問題は少し 紐解かれるものと思います。
なぜならば、 曇り一つ無いという事は、 汚れた意識が無い という事に他ならないからです。
曇りの無い心、 それが重要な意味に通じるようです。

しかしながら 私達の心は、 多くの価値観を理解するための 修行をするために、「 転生輪廻という循環 」 を繰り返して、 魂修行を しているといわれています。
その修行は、 現在の状況で 理解しようとしまいと、 理解できようと出来まいと、 それは全ての生命において 行われている事実として、 私達は理解して来ました。

ですから 誰もが 全ての魂において、 転生輪廻は繰り返され、「 自分磨き 」 を行っている ということに他ならないということです。
そしてこの世の存在が、 肉体を持つことで 多くの価値観や 心の修行を行うために 必要な必須条件だとして、 この現実が与えられているということです。

そして 既に心を汚している私達が、 この世でしか その汚れを取り除くことが出来ないために、 しっかりと 多くの自分にまつわる事件を背景に、 その魂の持っている 汚れを取り除くために 毎日必死になって生きているということに 他ならない訳です。

そしてまた、 その個人の目の前に現れてくる「 苦しみ、 悲しみ 」 に関わる事件は、 その個人の魂を強くするため、 心の汚れを取るため、 また愛情をより深く理解するため 等々と、 あらゆる心の汚れを取り除くための方法として、 目の前に現れて来てくれるということになります。

だからこそ、 誰もが目の前に現れてきている事柄に、 如何に付き合っていくのかが 問題になることと思います。
そしてその「 現実の意味 」 をどの様に判断し理解し、 そして解決に導いていくのかが、 大きなポイントに成ろうかと思います。 その解決をするために、 心のウツバリを取り除くために、 今を真剣に生きるという事が 必要に成ろうかと思います。


ところで、 この様に 心の存在は、 もともと何の曇りも無かった 光 である私達が、 ある意思によって この宇宙に散らばったわけですが、 それはその意志が 決めた事であって、 私達が決めた訳ではないと思いますが、 私にはそのことは判りません。

しかし 間違いなく、「 私 」 という意思は、 この私にも存在していて、 そして現実的に この肉体を通じて、 パソコンに入力をしている現実を生み出しています。

そしてこの「 意識 」 の中に、 私の心が在って、 その心が この肉体を動かしている 原動力 に成っていることになります。

ゆえに、この肉体は、 この私の意識によって動かされ、 毎日の生活で活躍することになります。
しかし この肉体は、 私の意識によって動かされてしまうあまり、 世間で言う「 良いことでも 悪いこと 」でも 行ってしまうのです。

そして 誰もがしたくない事件を 起こしてしまったり、 人の心を踏んづけたりして、 この社会生活の中で 沢山の争いを 生ませてしまうようになってしまっています。

しかし またその反対に、 平和な社会を創ろうと思えば 創る事も出来るのは、 誰もが理解することが 出来るでしょう。
その原動力が、 意識の中に存在する「 心 」 ということに繋がって来ます。

そして その心が汚れてしまうと、 その汚れた行動を起こしてしまう ということに 他ならないということでしょう。

その汚れを付けなければ、 人はその汚れに左右される事なく、 作用される事なく、 心を平和にして 生きて行くことは可能なのです。
でも「 理想は理想、 現実は現実 」 という表現を利用して、 夢物語だと決め付けて、 諦め切っている人々が 如何に多いことか。
それもこの「 意識の中にある 心 」 が決め付けているからです。

この意識の中にある 心 がどのような考えを持つのか、 それを考える必要があります。
なぜならば、 その心が考えることで、 この現実が 生まれてしまうからです。

そしてその心が「 悪 」 の心に犯されてしまっているのなら、その「 悪の心 」 で生きて行く現実が 生まれてしまうということです。


私達の心は、 頭脳を通じて、 物事を判断する生き物です。
それは 五感 という体の持つ感覚を通じて、 判断するしかない 存在でもあります。
もちろん 第六感 として、 精神的な感覚を いう人もいますが、 それはそれなりに 正しい判断です。
しかし その頭脳が どの様にして 心に関係するのかを理解しないと、 この話の結論は 行き詰まってしまいます。

あの世は 存在します。 これは結論です。
そして天国、 天上界、 パラダイス、 天竺 等々で表現されている世界( 実在界 ) は存在しています。

そして 人間の意識が作り出した「 地獄界 」 も存在しています。
その世界は 先程 表現しましたとおり、 その人の心一つで 判断が変わるものです。 その人の 心 一つということです。


ところで、 私達の頭脳は 心の持つ周波数を「 送受信 」 する、 生体器械だということです。
すなわち ラジオや テレビの 受信機 と同じ機能をする、 生体器械だということです。
最近では デジタルに成りつつありますが、 その機能と同じように、 意識 を送受信できる器械だと 理解できれば幸いです。

ということは、 どこかの放送局が 必要に成ります。
もちろん自分の心の放送局は 自分の心ですが、 自分の心のチューナー( 選局器 ) が どの周波数を選ぶか否かということです。

自分が「 天国放送局 」 の周波数を選ぶか、 「 地獄の放送局 」 の周波数を選ぶかは、 その人の心の選局する思い、 意識 に大きく関わっているということになるからです。

ですから 自分の意識の中にある心が、 心を美しくさせる周波数を 選ぶか否かは、 その人の意識が全てなのです。
それ故に その人の意識が「 悪 」 を望めば、 その「 悪の周波数 」 に同調させてしまう ということに他なりません。

そして その周波数に応じた心に、 自分で関連付けして行く訳ですから、 当然チューナーは 固定されてしまい、 意識は「 悪の周波数 」 に支配されてしまうことになってしまいます。
憑依 という現証は、 正にこのことを指しています。

しかし 支配されても、 その意識が自意識で「 間違っていた 」 と自覚した時から、 その「 悪の周波数 」 から離れようと、 チューニングをして「 善の周波数 」 に変更させようとします。
これが「 反省 」 であり、「 自己改革 」 に他なりません。

そうすることで、 「 悪の意識 」 から 自分を離れさせて行く ことになるのです。
しかし 人間の心は 一旦汚れてしまうと、 簡単に その汚れを取り除くには 苦痛が生じてきたりもします。

それで その苦しみから逃れようとして、 また「 悪の意識 」 に近づいてしまったりして、 何度も 繰り返してしまう傾向もあります。
そうなると、 その泥沼から 足を抜け出すだけでも、 大変な作業になってしまいます。

ですから、 子供の時からその「 悪の周波数 」 に近づかない必要があると 思いますし、 世界の魂たちが、 その悪の社会を形成しない「 社会つくり 」 を実行しない限り、 この地球は「 悪意 」 に満ちようとしてしまう傾向が 今 起こっています。
だから「 悪意の社会 」 を実行させてはいけません。

「 悪意 」 はその放送局が 放送しているだけであって、 一人一人の心が その放送局の周波数に 同調しなければ 良いだけの話なのです。
そして「 善意 」 の放送局に チューナーを合わせれば良いだけのことなのです。

しかし 人の心は移ろいやすく、「 悪意の意識 」 に魅力を感じすぎてしまう傾向もあります。
「 心の平安・心の平和 」 は結構堅苦しい感じもしますから、 どうしても人は 楽な傾向 に進みたがります。
しかし現実は 悪意の方が 後で苦しみ続けるという結末が待っていますから、 どちらを選ぶかは、 その人の自由意識に拠っています。


この頭脳は 何度も言うように、 ただ 心を現すための「 送受信器 」 であるという結論です。
そして 天国も地獄も 現実に存在し、 その周波数を受けるか否かは、 自分の意識の心が 決めることだということです。

どの周波数を選ぶかは、 その人の自己責任です。
誰も関係ありません。 自分の責任で その作業を行わなければならないのです。
そしてその結果、 どの様な現実が目の前に現れてきても、 それは自分が全て選んでいるという現実を、 どの様に理解して 反省できるかでしょう。

今現実に心が「 悪の周波数 」 に心地よさを感じていても、 恐ろしがる必要はありません。
しかし いつまでも続ける必要はないでしょう。

今の現実が「 悪の周波数 」 に通じていても、 その心地よさが、 嫌に成る時もあるでしょう。
そのチャンスを逃すか否かで、 自分の力で「 心のチューナー 」 を動かせるかどうかで、 これから先の未来は 変化します。
そこに、 心の現実に対する「 勇気 」 が求められると思います。


「 悪 」 という社会は、 反面教師 の世界でもあります。
「 善 」 の姿を感じさせるために 必要悪 とでも言えるのかも知れません。
正に「 悪 」 を行うために、 生まれてくる魂もある と聞いています。
しかしそれは、 その魂が それを理解するために必要な案件だとしたら、 私達はそれを どの様に考えればよいのでしょうか ?

この人生が、 正に 舞台演劇 のように、 それぞれの魂たちが、 この人生を「 演じている 」 という事が 言えると思います。
そして その舞台上で、 心を曇らせ、 晴らせるなど、 悲喜こもごも 多くの心を 体験することになるでしょう。
それが この人生だということが判断できれば、 心の中に新しい世界を感じることには ならないでしょうか ?


本当は この三次元の社会は 必要がないのかもしれません。
しかし 私達の心の中に 曇りがある以上、 そして現実的に「 地獄社会 」 が存在している以上、 その社会を 光 に満ちた社会にしなければならない「 使命 」 が、 全ての魂たちにあるとしたなら、 しっかりとこの現実社会を、 光 で満たす「 個人の生き方 」 が求められていると 考えられないでしょうか ?

「 穏やかな 満ち足りた心で生きる 」 、この社会の出現が、 求められているのではないでしょうか ?

ガンジー様のような生き方は、 私の望みなのかもしれません。
そして 全てを許す社会が現出するのなら、 本当に 心地よい社会になっていくと思います。

また 地球は一つであり、 国家という障壁を取り除く これからの人間の「 意識改革 」 が求められることでしょう。

そして、あの世へは、「 お金も 地位も 名誉も、 持って 帰れない 」 という現実を、 正しく 受け止めてほしいと願います。



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